おはようございます。「50代 一人旅に目覚めた男」の管理人ゆーさんです。
今回、博多祇園山笠に行ってまいりましたので、そのことをレポートいたします。
京都・八坂神社のご祭神である素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭る神社の例祭として各地に祇園祭が存在しますが、博多祇園山笠もその一つです。しかし、その集客数は、軍を抜いており、毎年350万人がこの祭りを見るため、この地を訪れます。
最寄り駅(地下鉄祇園駅)から櫛田神社への行き方

地下鉄祇園駅3番出口から400メール西へ進む。徒歩約5分。

ここ「櫛田神社」は、博多の総鎮守として、福岡市民に親しまれています。
博多祇園山笠は、櫛田神社の奉納行事です。

櫛田神社は、祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)・左殿に天照皇大神(大神宮)・右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神で拝殿には3つの鈴が並んでいます。

国内はもとよりアジアに近いこともあり、特に中国、韓国などの観光客にも人気のスポット。
そのためか、英語をはじめ、中国語や韓国語、台湾語に対応した御神籤もあります。
毎年、祇園山笠が終わると飾り山笠は潰されますが、櫛田神社の飾り山笠は常設展示されています。
こちらの神社は、これ以外にも見どころがたくさんあります。
博多祇園山笠は、鎌倉時代(1241年)に博多で疫病が流行した際、聖一国師(しょういちこくし)というお坊さんが施餓鬼棚(せがきだな)に乗って祈祷水をまいたという故事を起源としています。実に、778年の歴史のあるお祭りです。
京都・八坂神社のご祭神である素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭る神社の例祭として各地に祇園祭が存在しますが、博多祇園山笠もその一つです。しかし、その集客数は、軍を抜いており、毎年350万人がこの祭りを見るため、この地を訪れます。
毎年7月1日から7月15日にかけて開催される博多祇園山笠今回見に行ったのは、そのクライマックス「追い山笠」ではなく、7月10日の「流舁き」と7月11日の「朝山」です。
最寄り駅(地下鉄祇園駅)から櫛田神社への行き方

地下鉄祇園駅3番出口から400メール西へ進む。徒歩約5分。

ここ「櫛田神社」は、博多の総鎮守として、福岡市民に親しまれています。
博多祇園山笠は、櫛田神社の奉納行事です。

櫛田神社は、祭神は正殿に大幡主命(櫛田宮)・左殿に天照皇大神(大神宮)・右殿に素戔鳴尊(祇園宮)の三神で拝殿には3つの鈴が並んでいます。

国内はもとよりアジアに近いこともあり、特に中国、韓国などの観光客にも人気のスポット。
そのためか、英語をはじめ、中国語や韓国語、台湾語に対応した御神籤もあります。
毎年、祇園山笠が終わると飾り山笠は潰されますが、櫛田神社の飾り山笠は常設展示されています。
こちらの神社は、これ以外にも見どころがたくさんあります。
鶴のモニュメントの霊泉鶴

楼門がある入口から境内に入ると正面の拝殿そばに、鶴のモニュメントの霊泉鶴と呼ばれる井戸が目に入ります。こちらは本殿地下から湧き出る霊泉として、不老長寿の水として信仰されています。
ただし、現在は飲用が中止されています。
博多風神雷神

拝殿の破風の左右に掲げられている風神雷神の木彫りは風神があっかんべぇをして雷神から逃げる様子でユーモアあふれる博多っ子の気質を表しているといわれ ています。
力石

昔、櫛田神社では卯日相撲が盛んに行われており多くの有名力士が力自慢に持ち上げた石を奉納しました。近年も有名力士の力石が奉納されています。力に自信のある人は、下に置かれている「試石」を持ち上げてみてください。
櫛田の銀杏(ぎなん)

樹齢1000年を超える御神木です。大きさにびっくり。
祇園山笠の歴史

祇園山笠の起源である鎌倉時代から、室町、戦国時代へと移り、博多の町は大陸貿易の基地として栄えたものの、それが故に戦国大名、豪族の争奪の場となって焼け野が原と化しました。
その復興を命じたのが豊臣秀吉で、「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれるものがこの時代行われました。
当初、山笠は、高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていましたが、「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。
この場は何とか収まったが、夏のお祭りの際、恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したといわれています。
「流(ながれ)」とは、筋(通り)毎に形成された町の集合体のことです。現在、「流」は7つあり、この7つの流が祇園山笠の運営を担っている。
その復興を命じたのが豊臣秀吉で、「太閤町割り」「博多町割り」と呼ばれるものがこの時代行われました。
当初、山笠は、高さ15メートル前後のものをゆっくりと舁いていましたが、「櫛田社鑑」によると、貞享四(1687)年正月、竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町 (土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけて一触即発に。
この場は何とか収まったが、夏のお祭りの際、恨みが残っていた恵比須流が昼飯を食べていた土居流を追い越そうと走り出し、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び、「追い山」に発展したといわれています。
「流(ながれ)」とは、筋(通り)毎に形成された町の集合体のことです。現在、「流」は7つあり、この7つの流が祇園山笠の運営を担っている。
明治維新後、博多のまちに電線がはりめぐされたことで、祇園山笠は中止のピンチがありましたが、老山の高さを低くして対応しました。
また、締込み(ふんどし)だけでほぼ裸で行っていることに対して「野蛮だ」という声があがるようになったので、半被を着ることにしてそうした意見をかわしました。
こうして何度かの危機を乗り越えて現在の祇園山笠があります。
「博多祇園山笠」は、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。
また、締込み(ふんどし)だけでほぼ裸で行っていることに対して「野蛮だ」という声があがるようになったので、半被を着ることにしてそうした意見をかわしました。
こうして何度かの危機を乗り越えて現在の祇園山笠があります。
「博多祇園山笠」は、2016年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。
流舁(ながれか)き

この細い道も博多祇園山笠のコースです。

「最大難所」との表示がビルの前に掲示されていました。
じょうずに会社名をPRしています。

時間は、15時40分です。「西流」の舁き山が置いてあるところにやってきました。
舁き山は、毎年、テーマをきめて制作されます。
今年の人形は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将「立花宗茂」です。
櫛田神社と祗園宮の御神紋を染め抜いた幕の部分がありますが、これを台幕(だいまく)と呼びます。
普段展示しているときは「赤」、舁き出すときは青に張り替えます。
「青」になっているので、すでに「流舁き」の準備はできているようです。こちらの流舁きは、17時スタートです。

櫛田神社のお膝元にある、福岡の代表的な商店街「川端通商店街」です。
この商店街には、飾り山笠が展示されています。標題は、「決闘 巌流島」です。

この商店街には、飾り山笠が展示されています。標題は、「決闘 巌流島」です。

「土居流」の舁き手たちが、商店街に結集しています。


こちらは、「上川端通」の飾り山笠です。
飾り山笠の中で、唯一走ることができます。

飾り山笠の中で、唯一走ることができます。

古来の山笠を彷彿とさせる10メートル近い「走る飾り山笠」は、最後の八番目に櫛田入りを行います。
電線をくぐるため飾り部分が伸縮するようになっていたり、櫛田入りの際にスモークを吐いたりするなどエンターテイメント性が抜群な飾り山で、通称「からくり山」とも呼ばれます。

御神体が奉られているこの山笠は、追い山後は、上川端商店街内にある川端ぜんざい広場にて1年間展示されます。

紅白の垂れ幕のところにある竿が立っている地点が、「追い山ならし(12日)」と「追い山笠(15日)」の出発地点になります。

この日行われる「流舁き」とは、7月10日、11日、14日に行われる山の舁き出し行事。
午後4時から午後6時にかけ流ごとにそれぞれの流の区域内を舁き廻り、我が町内の舁き山をお披露目します。
平日の5時でかつ、雨が降っていたので、見学者少ししかおらず、席に座って見ることができました。
本番当日ともなると席は満席となり、こんなにゆったりとは見ることができません。

この「清道旗」の周りを回って外に出ていきます。
ただし、毎年一番山笠だけは、回ったところで、一旦止まり、「博多祝い唄」を歌うことができます。
「流舁き」の映像はこちら
朝山

朝山とは、11日午前5時から午前6時にかけて各流で行う行事で、各流それぞれ流域を早朝から舁いて回ります。
この日は、4時半に起きて会場にやってきました。
到着したときには、すでに、準備がほぼ整っているようでした。
すぐに「西流」が境内に入ってきました。

この日は、4時半に起きて会場にやってきました。
到着したときには、すでに、準備がほぼ整っているようでした。
すぐに「西流」が境内に入ってきました。

「土居流」が出発地点でスタンバイしています。


櫛田神社の境内を1周したあとは、川端通商店街に戻っていきました。


川端通商店街のなかも山笠が走ります。

5時から「西流」、「土居流」の2つの朝山を見た後、6時から始まる「中洲流」の朝山を見に行きました。



「朝山」は、別名「祝儀山(しゅうぎやま)」とも言います。
功績のあった年寄りが招かれ、縁起物の神酒、肴を出しもてなします。
朝山が始まる前に、このように宴席はすでに準備されていました。
朝山が始まる前に、このように宴席はすでに準備されていました。

30分ほど中洲の歓楽街のあたりを山笠が走りました。
風俗でお勤めのお姉さん方も観光客に混じって観覧していました。
風俗でお勤めのお姉さん方も観光客に混じって観覧していました。

地元のテレビ局が朝のニュースの中継をしていました。
「朝山」の映像はこちら
「朝山」の映像はこちら
おすすめホテル

今回泊まったのは、「アールイン博多」です。
こちらのホテル、櫛田神社の目の前にあります。
川端通商店街、キャナルシティや中洲の歓楽街もすぐそばです。
立地の良さにもかかわらず、楽天トラベルで6,000円で予約することができました。

こちらのホテル、櫛田神社の目の前にあります。
川端通商店街、キャナルシティや中洲の歓楽街もすぐそばです。
立地の良さにもかかわらず、楽天トラベルで6,000円で予約することができました。

部屋は決して広くはありませんが、シャープの空気清浄機、冷蔵庫もしっかりあります。
エアコンも手元で温度調整ができるものが装備されていました。
フロントの人は大変親切で、チェックイン前に預けていた荷物は部屋まで運んでくれていました。
フロントのそばには、24時間無料で利用できるコーヒーサーバーがあります。

すぐ目の前で地下鉄の工事が行われいます。
新駅ができれば、より一層、このホテルを利用する価値が高まります。
エアコンも手元で温度調整ができるものが装備されていました。
フロントの人は大変親切で、チェックイン前に預けていた荷物は部屋まで運んでくれていました。
フロントのそばには、24時間無料で利用できるコーヒーサーバーがあります。

すぐ目の前で地下鉄の工事が行われいます。
新駅ができれば、より一層、このホテルを利用する価値が高まります。